2007年06月 アーカイブ
ヨーロッパにおける学力テスト
昨今、第三者による学校評価の導入が検討されています。
そのモデルとしては、イギリスの教育水準局がしばしば挙げられています。
しかし、イギリスのNPM<new public management>のような市場化、民営化手法にも一定の限界が見えてきているとも言われ、より市場メカニズムの導入範囲の狭いフィンランドに代表される北欧型へ流れが移ってきているようです。
イギリスの評価制度は、資格カリキュラム機構が実施する学力テストの結果を参照した上で行われる教育水準局による学校監査と外部評価であります。
当初は、学校間の過度な競争を招いたこの学力テストも、学校の自己評価と結果発表のあり方に配慮するなど、修正を重ねる中で熟成が図られているようです。
また、フィンランドは、義務教育の最終年度の9年生で学力テストを実施しています。
この目的は、国で定めたカリキュラムに沿った教育の達成度を評価するもので、学校別順位は公表しない事になっています。
つまり、学校の自己評価中心の教育評価を行っています。
これら、教育評価制度の現状は、多くの示唆に富んだものと思い研究を進めたいと思います。
日時: 2007年06月11日 15:25 | パーマリンク | コメント (1) | トラックバック (0)
死刑反対派の論拠は無いも同然
山口母子殺害事件の差し戻し控訴審が始まりました。
21名の弁護団の奇怪なる論と、さらには彼等が死刑廃止論者として、この裁判を政治利用しているようにも思えるとの批判が集まっている。そこで、死刑廃止論について検証してみたいと思います。
まず、死刑反対論者が理由として挙げるのが、冤罪の可能性です。確かに、耳を傾ける余地はあると思いますが、無期懲役なら冤罪があっても良いという事にならないわけですから、この論拠は弱いと言えます。むしろ冤罪の可能性を少しでも減らす努力をする方が、死刑反対論者の唱える「人道」にもかなうといえます。
さらに、刑法犯の再犯率が50%を超えているというデータが、死刑維持の必要性を雄弁に語っていると思います。無期懲役での仮出獄を許した結末も含まれているのです。慎重の上にも慎重を期し、時には精神鑑定も用い、長い時間をかけて行われていて、冤罪の可能性の無い、しかも、死刑判決を受けるべき凶悪犯を野放しにする社会のリスクを考えるべきです。そして、これに類似しているのが、死刑を廃止しても犯罪発生率は全く変わらない、と言うものであります。全く変わらないかどうかは、廃止した国によって結果も違い、さらに死刑を復活した国もあり、一概には言えないものです。
次に死刑反対論者が挙げるのが、被害者や遺族の感情など考慮に入れてはいけない、殺されたという物質的な損害だけで刑を決めるべきというものです。国家が被害者遺族の感情に翻弄されるか、或いは、遺族の有無で量刑が左右されることになってはならないというのが理由だそうです。しかし、いったい誰が遺族の感情を推し量ることが出来、量刑へ反映できると言うのでしょうか?刑罰の意味とは何なのでしょうか。親愛なる人を奪われた遺族が、最低限の希望として死刑を望むことが、そんなに許されないことなのでしょうか?
三つ目に、死刑を執行しても犯罪被害は回復されないという死刑反対論があります。しかし、それでは死刑のみならず、全ての刑は無意味ということになり、まったく論をなしていません。
四つ目に、死刑執行により被害者は満足したとされ、被害者のケアがないがしろにされる、という奇説があります。死刑を廃止すれば、被害者のケアに目が行くようになるのか?酒鬼薔薇聖斗事件の少年Aは少年法で死刑にはなりませんでしたが、その被害者の家族には殆ど経済的・精神的なケアは行われていません。また、他の全ての被害者家族も同じ状況であります。
死刑存廃と被害者の救済、ケアを同列で論じることには、むしろ憤りを感じます。無駄な奇論を展開するエネルギーを、これまで被害者やその家族を軽視してきた日本の法制度を見直すことに使うべきです。
日時: 2007年06月12日 08:54 | パーマリンク | コメント (8) | トラックバック (0)

